ドストエフスキー / 「カラマーゾフの兄弟2/2」
お待たせしました。久々すぎて、図書館から延滞図書請求のお知らせががんがん来ています。…買えよってね。何だかね、上中下の中だけ古本屋で手に入れてしまい、出来れば同じ訳者の同じくらいの版の上と下を手に入れたいんだけど、古本屋で見つからなくて…。という余談はさておき。
ドストエフスキーの「白痴」が恋愛話(=ビバリーヒルズ白書)で、「罪と罰」が犯人が先に分かるサスペンス(=古畑任三郎)なら、この「カラマーゾフの兄弟」は家族間のごたごたと駄目で迷惑な人間オンパレードと、かつ誰が犯人か分からないミステリーがダブルで楽しめます。言ってみれば、「渡る世間は鬼ばかり」と「火曜サスペンス劇場」の同時上映って感じでしょうか。ほらほら!とっつきやすくなりすぎてがっかりだ!
まず渡る世間系話から。この話の冒頭で、三男アリョーシャの師であるゾシマ長老のもとにこの一家が集合するんですよ。なんでだっけ。なんでか忘れたけれど、三者面談かよという具合に集合しちゃうんですよ。
ゾシマ長老は、もう前半で存在感ありすぎな偉い人格者なんだけども、その彼の前で、カラマーゾフの父ちゃんがぺらぺらぺらぺらしょうもないことを喋り続けるのが前半の見所です。もう、父ちゃん、恥ずかしいから長老の前でそんなこと言うの、やめてよ!!と身もだえします。その恥ずかしいっぷりが見事なのです。
神を信じていないクールで現実主義の次兄イワン、父が憎くて憎くてしょうがない長兄のドミートリー。はらはらしながらみんなを見守る末っ子(美少年)アリョーシャ。
会話だけで延々つづられるこの冒頭は、何か物事が起きたりストーリーが進むわけでもないのに、ものすごく面白いです。人間の浅ましさ、悲しさ、どうしようもなさがあらわになって。でも憎めないというか、もうどうしようもないよなあって感じで。
で、ゾシマ長老、ながーいながーい話をし始めます。いやもう、これ何の話だっけ?って途中で忘れるくらい長いです。それもまた、感動的だったりして。
もうストーリーとかいいじゃん、とか思い始めたときに、再び作者が登場。事件が起こるわけなんですよ。しかも事件の様子を作者が人から聞いたからよく分からないんだけど、と、しどろもどろにしか語ってくれないので、全容が見えない。ここからは、もう、ストーリーが気になって一気に読み進んでしまいました。
どう見ても絶対ドミートリーが犯人だろ、って思うんだけど、アリョーシャが違うよ!って信じてて、いやいや、お前、いくらなんでも純粋過ぎだろ、兄ちゃんが犯人としか考えられないじゃん…って呆れながら読んでいたのに、でも、実は…? いや、でもやっぱり…?
と、あまり言うとネタバレなんだけども。でもバレたからどうだっていうレベルじゃないので、大丈夫だとは思います。
小説の楽しみ方って人それぞれだと思う。でも、何だか最近周りの人を見ていると手っ取り早く結論を知りたいって人が多いような気がします。新書ブームとかもそうですよねえ。「○○が~できる方法!」とか題して、その答えを必死で探すんでしょ。すかすかの文字を追いながら。でもそういうのって、他のジャンルに任しておけばいいと思う。情報だけなら、ネットでも取り出せる。世界に入りこんで世界を自分の感覚で体験することは、小説にしかできない。小説は楽譜で、演奏するのは読者自身だって、誰かが言ってたなあ。回り道をして苦労して演奏し終わったとき、たぶんそれは自分の体験になっていて、ただ観客として聞いただけでは得られない何かを手にしているのだと思う。
これだけ回り道がたっぷりできる演奏しがいのある小説って初めてだった。腕組んで観客席で、さあ採点してやろうって聞くんじゃなくて、このカオスの中に飛び込んで、自分の体と頭でもがいて歩ききったとき、一つの経験を終えて、世界が少しだけ違って見えるのだと思う。
すべての文学に言えるのだけど、読むべき時期というものがあると思う。一度手に取って読めなかった、というのは、別に苦い思い出でも恥ずかしいことでもなくて、ただ時期じゃなかっただけなのだと思う。一度読めなかったから、もう読まないというのではなくて、頭の端に留めといて、ある日手に取ってみる、すると不思議に読める。何だか神秘的な物言いになるけれど、いつ出会うべきかは、物語の方が知っている気がする。
さて、わたしが読んだことのあるドストエフスキーは、ひとまず終了。また別の作品読んだらアップするとして、次は誰にしようかなあ。
あ、そうそう、読んだ当時の読書の記録は、こちら。
本の装丁をぼんやり覚えているので読んだ気がしただけで、実はこの本を読んでいない気もします。たぶん十代の頃で(高校か中学か)、記憶に残っていないのは、どちらにせよ、「読むべき時期」じゃなかったのかもしれません。 でも、今、頭の片隅に入りましたので、そのうち、出会う時に読めるでしょう。
「レミゼラブル」も似たような感じで、これは十代の時に読んで「良かったと思った」、ことは覚えていたのですが、少し前に、ドラマで見て、「あれ・・こんな話だった? ああ、こんなシビアな話だったのか」と、まるで初めての物語のような・・。読み手側にも「読む」準備都合があって、それによって「小説」の価値と関係なく、よい小説になったりそうじゃなかったり、意味があったりなかったり。・・人の”出会い”も似たようなものかも。
「読むべき時期」ということについて、なんだか勇気付けられる文章でした。
実は、前回ここにコメントしてから、『罪と罰』を図書館から借りたのですが、
期限内に読みきれませんでした。
『カラマーゾフ』とあわせて、
「時期」がきたら、また、挑戦してみようと思います。
いつも(!)拝見しています。
中国ではほとんどブログが見れない中、ぱそ子さんのブログだけが見れたので、心の支えにさせていただいていました。勝手に。
それはさておき。
「読むべき時期」ですか。僕は「読める時期」だと感じました。精神的肉体的に受け入れられる時期とでもいうのでしょうか。同じことか。(^^;何言ってんだ。
ところで少々リクエストなのですが、ウチの嫁さんが今、リストの『愛の夢』を練習しています。あ、ピアノの曲のことです。先生からは『リストの時代の恋愛の物語を読んでおくといいわよ』的なことを言われたらしいのですが、じゃー何読みゃあいいのよ。ってなってます。なんか無いですか?w
リスト本人は1811~1886年で『愛の夢』は1850年に書かれてますね。(もとになった歌曲は1849年)
なんか、クールで聡明な女性がいて、その女性に思いを寄せる男性が熱く愛を説く。ような曲らしいです。。ほんまかいなw。
原題“Liebesträume”はドイツ語らしいですので、発表されたのはドイツかな?
「ググれカス」とか言わずに教えていただけたらうれしいです。
よろしくお願いします。
若いときに名作を読んでおかなければ、という流れがありますよね。圧力というか。ドストエフスキー? 若いときに読んだけど忘れた…って人、わたしの周りにも多いです。出会いなおすきっかけになったら、このブログやってる甲斐があります!
と、言いつつ、わたしも「レ・ミゼラブル」は子供のときに読んだのでした。でも当時もすごく号泣したので、それはそれでよかったんだと思います。また今読むと違うんだろうな。
二週間って短いですよね。わたしもドストエフスキーは何度も借りては読まずに返しました。あるとき、ふっと読んじゃったんです。何のきっかけか覚えてないですが、時期が来たとしか言いようがない感じです。
頭の片隅に置いといて、出会う時期を待ってください。きっと今は他の本がmusic1983さんと出会いたがってるのかもしれないです。
まあ、なんと。こんなオタクなブログまで見ていただいてありがとうございます!中国でも見れるんですね。Wordpressやるなあ。
「読める時期」ってのもありますよね。物語や活字を欲してるときと、全くいらない時期がわたしにもあります。そう、無理矢理読んでも意味はない、しかし来るべき時の選択肢として頭の中に入れとけ、みたいな感じでしょうか?(笑)
そして、何て投げっぱなしな先生なんでしょう!(笑) 心当たりが全然ないのでググってみましたが19世紀の小説家、ロマン主義やらなにやらで、知ってる小説家の名前が「ゲーテ」しかいなかった…。ノーマークです(笑)あ、でもオペラで見たなあ。オペラとか見たらいいんじゃないかと。恋愛ネタだらけです。
ほんとにもぅすみませんったらありゃしない。新手の荒らしと言われてもしかたない 。^;
お手数おかけしました。
オペラかぁ。なんか敷居高いなぁ。などとこの期に及んで文句言ってみる^^。
いや、ほんとすんません。嫁さんには自分でなんか探すように言っときます。
Thanks for posting about this, I would love to read more about this topic.