ドストエフスキー / 「カラマーゾフの兄弟」(1/2)

 さて、カラマーゾフの兄弟です。いやあ、この大物紹介するのは腰が重い重い。などと言ってたら読むほうはもっと腰が重くなると思うので、ちゃらちゃらいきます。本物の凄さは読めば分かるし、文学的な解説は専門家にお任せしましょう。

 まず、どんな話かというと、大きなあらすじは、金と女にだらしなく卑屈な小悪党で駄目人間なカラマーゾフ=フョードル親父がいて(ほんっと駄目なんだ、この人)、財産を騙し取られ同じ女を愛してしまったせいで親父を殺したいほど恨んでる長男ドミートリーがいて、お前らがいるから「だから、カラマーゾフのやつらは…」って一緒に馬鹿にされるんだよ、という極度に冷めた次兄イワンがいて、そんな駄目な一家の中に育ったけれども家族を愛して止まない牧師志望の末っ子アリョーシャがいる、という話。

…という話って、あらすじになってないじゃん。でもさ、この人たち、紹介見てるだけで何かやらかしそうでしょ。

 この作品は何だかちょっと変わった小説だと思う。奇をてらったというよりは、これ以上ないほど小説らしい小説で、そのせいで変わってる感じがしてしまう小説なのです(何のこっちゃ)。

 登場人物がいて、順番に物事が進んで行って、観客は席に座ってきょろきょろしていれば無事エンディングまで辿り着ける、それが普通の小説だとしたら、「カラマーゾフの兄弟」は、何だかいろいろ勝手が違う。しょっぱなから話手である作者が登場して、いやまあくだらないとか怒らずに最後まで聞いてくれよ、最初はよく分からないかもしれないけどさあ、何てたって私もよく分からないんだからしょうがないじゃん、と無責任な言い訳を始める。えええー!ってブーイングしてる間に、まあ、本文がようやく始まって、よかったよかったって安心するんだけども、でもやっぱり舞台に出てきたのは作者一人で、まずはこれだけ知っておかないと面白くないからね、とばかりに登場人物の生い立ちのレクチャーが始まる。

 引っ込めー、早く役者を出せーとばかりに本を閉じるんじゃなくて、変なことを始めるんだなあとにやにや楽しめれば、導入部分はクリアでしょうか。

 さて、書き手として眺めてみると、この説明の手際のよさがかなりすごい。短い文章に膨大な情報をぎゅっと詰め込んで、鮮やかにプレゼンしてみせる。しかも説明臭くならない。なんだこの文章力!(訳者もすごい!)

 小説を書くとき、登場人物の生い立ちや親のことや趣味のことなどを考えるわけですけれども。彼が何歳でどんな育ち方をしてきて何を大事にしているか、ということで物語やセリフは左右されてしまうからね。で、ドストエフスキーと比べてもしょうがないけれど、わたしは登場人物に物語に最低限な必要な背景しか作ってやることしかできないのに、ドストエフスキーの登場人物たちは生身の人間以上の背景を背負っている。鮮やかな人物紹介や、延々と続く長セリフを見ていると、膨大な背景を持っていて、作者はただ、その一部をちょっとかいつまんで紹介しているだけだ、というように思えて恐ろしいことだなあと感じます。

 この小説が変わっているもう一つのポイントは、一つの物語に十個くらいの小説が詰まっていることだと思う。本筋に関係あるようなないようなエピソードが、長編小説一本書けるくらいの濃厚さで展開される。本筋は上で紹介したとおりなのだけど、この劇中劇ならぬ、小説中小説が3巻に渡る大長編を構成しているわけなのです。

 これもね、話が逸れたから分からなくなったと諦めるんじゃなくて、いやあ、小説の中で小説読めるなんて得したなあと回り道を楽しむのがコツじゃないかと。

 あれだ、マンガで言えばこれです。

 この漫画のあらすじって言ったら、マヤがライバルと戦いながら女優の憧れ紅天女を演じるのを目指す話ですけど。報われない恋とかあるけど。でもそれだけじゃ、わたしはファンにならなかったわけで(全巻持ってます。月影先生がわたしの心の師匠です。)、マンガの中で劇を一本まるまる上演してしまうという大胆な構成がカッコイイと思うんですよねー。

 というわけで、「カラマーゾフの兄弟」のすごさであり面白さって、この登場人物と物語の濃厚さだなあと思います。
 濃厚さに敬意を払って、三兄弟レビューは次回に続きますよ。

5 Comments

music19836 月 16th, 2009 at 22:36

正直言って、僕は小説を書くとき、登場人物の生い立ちやら、何も考えていません。
何かで角田さんの夫の方も小説を書くときは、登場人物の設定を(足のサイズまで!)決めると言っていましたが、
やっぱり、そこらへんが実力の差なのでしょうかね。
そういう意味では僕はあまり小説を書くことに向いてないのかもしれません。
(まあ、「下手の横好き」という言葉もありますが)

Izumi6 月 17th, 2009 at 14:05

書く小説の種類によると思いますよ。非現実な話やファンタジーやSFの話や、掌編では、考えないことのほうが多いです。ただ、現実的な話を書こうとしたら、名前を考えるときに、親がどんな人間か考えないとつけられないし、現在の年齢を考えた時に、それまで何してきたかが分からないと重みが出なかったり。。でも大抵そんなことを考えている間に行き詰ってしまうのです…。で、わたしもときどき向いてないなーって思ったりします。

シーガル6 月 20th, 2009 at 03:03

「カラマーゾフの兄弟」読んだのは確かなのですが、はるか昔で、内容をすっかり忘れてしまいました。でも、もう一度、読んでみたい気になってきました。「ガラスの仮面」は、途中でやめられない面白さ。”二人の王女”なんてありましたね。まだ覚えています。”紅天女”の途中まで読んだけれど、その後はどうなったのでしょう。
違う本の話で恐縮ですが、「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」塩野七生、という本をやっと読み終えたのですが、これ、あとがきで「歴史でもなく、伝記でもなく、小説でもなく、しかし同時にそのすべてでもある、・・」と書かれていました。変わった形式の作品でした。

Izumi6 月 28th, 2009 at 14:54

昔読んで内容を忘れたけれど、面白かったという余韻だけ残っている、そんな本がわたしもたくさんあります。ちょっとした感想のメモでよみがえったりするので、面倒くさくても読書記録を残しておくのは意味があるのかなあと思ったり。
ガラスの仮面、8年ぶりに連載開始して続きが書かれてますが、紅天女の話、全然進んでないのでした(笑)
塩野七生さんの本を読んでみたいと思っていたので、ぜひその本から読んでみようと思いました!

bwdqys10 月 6th, 2009 at 22:35

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