読書の記録

No.99 2005.5.14

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残響 /保坂和志

(文藝春秋 /1997年発行)


 あちこちの文芸誌で名前を見るので気になっていた作者。この「残響」には中編「コーリング」と「残響」の二編が収録されている。どっちも同じ手法で書かれていてどちらもじわじわと面白かった。エンターテイメント的な面白さは少ないが、小説にしか出来ないことをやっていて、小説の面白さをしみじみ味わえる作品だと思った。

 作品中には何人もの人物が登場する。それぞれ同じ日をそれぞれの場所で直接的に関わることなく生活している。ただ、彼らは過去のある時点において同じ思い出や出来事を共有している。そのことに何気なく思いを馳せたり、今目の前にいる人物を他の登場人物の思い出の影に重ねてみたりしながら生活していく。彼らは現在進行中のこの舞台の上では直接出会って話したりアクションを起こしたりしない。ただめくるめく思考、記憶の連想、過去の名残、そんな実態のないもので有機的につながっている。

 登場人物達はどこかに絶対存在してると思わせるようなリアルさ。裏を返せばどこにでもいそうな人物。名前も平凡。なのに、次から次へと視点が移り変わっても戸惑わない。登場人物の思考の流れと読者の読書の流れと作者の描写する流れが同調している。いや、ほんとレビューしきれません。これは実際読んで頂かないと。人間観察がすごく細かい。そして誰の立場も誰の考えもリアルに描写されている。どの立場にもどの人物にも寄り添って代わりに語ることができる。40代男も25歳女も主婦もキャリアウーマンも全てそれらしい。それってすごい。三人称の小説だけど、一人称のようだった。何が起こるわけじゃない。こんなふうに誰かに何気なく思いを馳せて、その誰かもまた誰かに思いを馳せていて、直接接触したわけじゃないけれど、有機的に繋がっているという作者のテーマが、一つの作品から流れ込むように自然に伝わってきてとても心地よかった。

 ありきたりの光景を書いてあるはずなのに決して俗っぽくも安っぽくもないのは文章力と丁寧な観察眼のおかげだろう。読点の少ない長くてきっちりと組みたてられた文もよかった。こういう日本語の気持ち良さは翻訳ものではなかなか味わえない。


(抜粋)
 それで自分の部屋のある三階から階段を降りて、下で郵便受けを見るとDMや原稿料の支払明細や雑誌に混じって転職の挨拶のハガキがあった。高橋順子からだった。六年前まだ会社に勤めていた頃、系列の会社から一年間だけ出向してきていた女の子二人のうちの一人で、高橋順子はいまでも何かあるたびに連絡をよこす(あの頃俊夫は三十三で、高橋順子と青木恵理の二人は二十四、五だった。あの二人ももう三十になるのかと思った)。ワープロの文面の横に手書きのやや縦長の字で、
『システム開発部で野瀬さんと過ごした一年間は、コンクリートに残された凹んだ足跡のように、私の心に、しっかりと刻みつけられています』
 と書き添えられていて、こういう表現を読むといつも俊夫はコンクリートまで比喩の道具になると思ったり、人間は手当たりしだいに自分の心を説明する材料に使ってしまうと思ったりして、そういう人間の内側にあるものがこの世界あるいは宇宙にあるものと比べて不釣合に複雑だと思う。不釣合さはつねに複雑すぎるように働くわけではなく、単純過ぎることもあり、単純さは人間の世界に対する理解の量の少なさであり、複雑さは人間が世界に意味づけをする量の多さであり、人間は世界そのものを知ることよりも世界が自分に意味をもたらしてくれることを期待しすぎていると思うのだった。


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