読書の記録

No.98 2005.5.13

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アフターダーク /村上春樹

(講談社 /2004年発行)


 海辺のカフカを出した村上春樹が、新しい小説の世界をまた切り開いたと銘打って売り出された長編小説「アフターダーク」。ううん、海辺のカフカのときも思ったけれど、アフターダークではさらに「ださく」なっていた。はすっぱな言葉使いでも俗っぽい登場人物でも、今の若手作家ならクールにださかっこよく書きこなすだろうに。ただださいだけ……。なんだろう、この恥ずかしくて直視できない登場人物達は。しかも物語というか若者に向けた説法書みたい。大事な言葉は全て「会話」で直接語られる。主人公である十九歳の少女マリの抱えている葛藤も本人の口から語られるし、その解決策や導きみたいなものも他の登場人物から有機的な絡みも対してないまま直接口で与えられる。物語自体も何も起こる前に終わってしまう。登場人物たちが舞台挨拶をしていて本編の予告編、といった印象だった。主人公マリに「ひょっとしてヴァージン?」という質問を浴びせ顔を赤らめさせるとことか、悪趣味だと思うんだけど。セクハラおやじ……。(もちろん文脈の中で物語の中でしっかり機能してたらそのシーンもいいんだけど、浮いてるので悪趣味だと思ったのでした)。

 村上春樹は確かに新しい世界へ向かおうとし続けている。小説というものに常に真正面から対峙して書き続けている。だからわたしは作家としての彼を評価し、彼の向かう先を見届けたいと思う。彼は一体どこへ向かっているのだろう? 海辺のカフカより以前は、自分の問題を物語にしていた彼が、海辺のカフカ以降からは、他の人の問題を物語にしようとしているのではないだろうか、というのがわたしの印象。彼が他の人の問題を書こうとするのは、彼がもっと「世間」に寄り添いたいと思ったからだと思う。

 彼が自分の問題を描く時に描写される村上春樹世界は、他の人の目には斬新でクールで途惑うくらい独自のものに映ったと思う。わたしにとってそれが彼の作品の一番の魅力だった。しかし、海辺のカフカやアフターダークで彼が書いた「世間」は、ジャーナリストが描く世間ほどには寄り添えてないし、他の作家やシナリオライターが書くほどには独自でもセンスがよくもない。どうして世間を世間のまま書こうとするんだろう? そんなことは他のライターに任せておけばいいのに。世間を書きたければ村上春樹の世界に変換して書けばいいのに。それとも彼のしたいことは全く別のことなのだろうか。だささ、俗の積み重ねが何かを生むというのだろうか。

「私たち」という読者+作者の視点が物語の中に登場することで、この小説を観念的と表現する人もいるかもしれない。でもこれは形式だけだ。ただの文字面の問題に過ぎず、観念的とは程遠いと思った。

 まあそんな感じで、小説を研究しなきゃいけない作家のたまごならまだしも、純粋に読書を楽しみたい読者にはお薦めしない一冊。これを読むなら、もっと村上春樹世界が広がっている過去の作品か、もっと世間に踏み込むのが上手い他の作家の作品を読んだほうがいいかもしれない。

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