白夜/ ドストエフスキー
(角川文庫 /昭和33年初版発行)
| ドストエフスキーといえば『罪と罰』とか『カラマーゾフの兄弟』といった大作だけが問題にされ、『白夜』とか『弱気』などの小品は、よほどの愛好家でないと眼を通す機会がない(訳者あとがきより)
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……らしいですが、いきなり白夜から読んでしまいました、ドストエフスキー。だって、薄くてとっつきやすかったんだもん。ドストとかトルストイとかトーマス・マンとか読まなきゃなあと思いつつ、ついつい敬遠してしまい、他のを読んでしまう。でもこの白夜は薄い文庫本で、えいやと1日で読んでしまいました。
空想家で孤独で貧しい青年が、ある晩悲しみの涙に暮れる少女に出会ってその少女に恋をする。少女の悲しみの理由は、1年前に変わらぬ愛を約束した恋人が約束の時期になっても彼女を迎えに来ないこと。少女に恋心を抱く青年は、少女の悲しみを和らげようと彼女の恋人と少女の間を取り持つ役を引き受ける。ストーリーはこれだけだが、青年の心の内が延々と何ページにも渡って語られたり、少女の生い立ちの話が少女のセリフによってこれもまた延々と語られたり。現代の小説にはない、なんともドストエフスキーらしい(と私が勝手に思ってる、だって他のをまだ読んでないので)小説だったと思う。
読み始めて最初は辟易した長くてもってまわったくどい言い回しも、小説の世界に浸るうちに世界観を形成する重要な演出になる。とっぷりと頭の先まで浸る、というタイプの小説。白夜の美しく神秘的なセンチメタリズム。あら、ドストエフスキーいいかも。
第一夜
すばらしい夜であった。それは、愛する読者諸君よ、まさにわれらが青春の日にのみありうるような夜であった。いちめんに星をちりばめた、明るい星空は、それを振り仰ぐと思わず自分の胸にこんな疑問を投げかけずにはいられないほどだった−−こんな美しい空の下に、さまざまな怒りっぽい人や、気まぐれな人間がはたして住んでいられるものだろうか? これもやはり、愛する読者諸君よ、幼稚な、きわめて幼稚な疑問である。しかし私は神が諸君の胸にこうした疑問をよりしばしば喚起することを希望する!……。気紛れな人間や、さまざまな怒りっぽい紳士連のことを口にだすとなると、私はこの日一日の自分の品行方正な行状のことも思い出さないわけにはいかない。朝早くから、なにか奇妙なわびしさが、私を苦しめはじめたのである。まったく藪から棒に、この孤独な私をみんなが見棄てようとしている、みんなが私から離れようとしているというような気がしはじめたのだ。それはもちろん誰だって、「いったいどこのどいつだね、そのみんなというのは?」とたずねる権利をもっているにちがいない。なにしろ私はこれでもう八年もペテルブルクに住んでいながら、ほとんど一人の知人をつくる才覚もなかった男なのだから。
(冒頭抜粋)
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翻訳:小沼文彦
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