月と六ペンス / モーム
(岩波文庫 /2005年発行)
最近お気に入りのカフェ「月と六ペンス」の名は、この小説からとったそうで。モームという作家を知らなかったのだけど、せっかくなので読んでみました。1919年に発表されたモームの代表的作品です。
「この小説はポール・ゴーギャンの生涯にヒントを得たものである。」という前置きからこの小説は始まる。フィクションのような、ノンフィクションのような不思議な感触の小説だった。モームはゴーギャンのエピソードを貪欲に利用するし、同時に貪欲に加工する。かといって、フィクションですというスタイルをとらない。主人公は作家。彼が偶然出会った男(ゴーギャンをモデルにした画家、ストリックランド)のことを語っていくのだが、途中で言い訳がましい口上が入ったり、ストリックランドのことについてもっと知りたいと思い始めたら、はぐらかすように他の話になったり、する。かといって、ノンフィクションかと思えば、ゴーギャンの妻が読んでも夫とは気づかなかったと断言するほどの加工に満ちている。
そんな、ツンデレ小説です。語りに酔ってしまうこと、フィクションにのめりこむこと、事実を暴き野次馬根性を剥き出しにすること、それらを全部恥じて、慎重に回避しながら書いていくと、こんなはっきりしない小説になった、という感じ。
だからといって、面白くないわけじゃない。何だか人の体温のような、じっとりといまわしくあたたかい存在感がある。ここで語られる一人の画家のエピソードは、まるで自分の側にいて見聞きしたかのように、体に食いこむ。天才の伝記でも小説でもなくて、本当に体験した話のように思ってしまう。
前置きの中でモームはこんなことを言っていて興味深かった。
(引用) 元来、小説家というものは、すべてを知っていることなどあり得ないのだ。創作に必要な知識は、他人や書物から得るのである。自分の書くすべてを自分の頭で創作しようと心掛けるべきだというのは、ごく最近の考えである。愚かしい考えだ。過去の作家たちは、必要なものを相互に利用し合っていた。それにとどまらず、他人の書いた何節かを平気で丸写しする者さえ少なくなかった。これは、本を書くことに金銭が絡むようになった今では確かに許されぬことであるが、作家が他の作家の書物で見つけた出来事を利用したからといって、文句をつけるのはナンセンスだ。出来事を自分の作品で充分に生かすことができれば、自分のものにしたと言える。元来、事実を述べた書物は小説家が利用しても許される、いわば公の採石場である。小説家がホテルのバーや、クラブの喫煙室で耳にした出来事を創作に利用して構わないのと同じく、他人の作品に載っている出来事も利用して悪いわけはない。こういう事柄についての私の考えは、さらに先鋭的である。どの作家も、自分に役立て得るいかなることも他の作家から借用して差し支えない、と信じるのだ。
訳:行方昭夫 訳がよくて読みやすかったです。 |
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