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グロテスク /桐野夏生 (文藝春秋 /平成15年発行) 桐野さんの小説は外れがない。何をテーマにして書いていても夢中で読めてしまう。この小説のタイトルは「グロテスク」だけど、殺人やスプラッタやスカトロやらそういうグロテスクなものが描写されているわけじゃなく、人間の汚さ、弱さ、醜さというものが書かれていて、それがグロテスクだと感じるくらい赤裸々に表出されている。ぴったりのタイトルだと思った。 人間の心に潜む闇のグロテスクさ。膨大していく自意識のグロテスクさ。悪意のグロテスクさ。それを嫌な人間本人になりきって描ききっていた。ちょっとくどい(親切すぎる、示唆的すぎる)部分もあったけど。これだけグロテスクさに対峙したことにもう感服。 ただ、その徹底した仕事のすばらしいっぷりも保証するけど、読んで楽しくなる本じゃないことも保証します。エンターテイメントというより描きたかったものは文学に近いんだろうと思う。週刊文春に連載だったらもっとエンターテイメント寄りの作品を要求されそうなのに。何書いても売れると出版社から絶大の信頼を得ているのだろう。素敵だ。常識やジャンルを超えたものをこれからもどんどん生み出して欲しいな。 長い長い小説。章ごとに語り手は変わる。恐いくらい整いすぎた美しい顔の少女ユリ子。自分を生まれつきの娼婦と自覚し、男癖の悪さで美貌も生かせず、娼婦に落ち、最後には殺される。このユリ子をめぐっていろいろな人が語る。少女時代からユリ子を大嫌いだったという姉。会社勤めと夜は娼婦という二重生活を送る姉の友人の日記。ユリ子を殺した中国人の男の手記。ユリ子自身の日記。それぞれが自分勝手な視点で自分勝手な思い込みでずっと語っていく。だから、同じ事象でも別の人間が語れば全く違う景色が見えてくる。これは桐野夏生の十八番の技法だと思う。 まあでも悪意酔いするので。元気なときにどうぞ。娼婦ものが続いてしまった。そういえば、この本の最後に一個前の読書の記録に書いた酒井あゆみさんの著書が参考文献としてあげられていた。おお、何て偶然。 |