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ゴドーを待ちながら /サミュエル・ベケット (白水社 /1990年発行) 実は、先月末にJ・M・クッツェーの講演を聞いてきました。クッツェーが初来日だったんですよ。行くしかないでしょ!とはるばる京都から夜行バスで行ったわけですが。早稲田大学での講演で、そのお題がこのベケットについてだったんです。 講演者のファンだが、講演内容に関しては全くの無知。それでも行くなんて、ただのミーハーなんだけども。まあ行く前に読もうと思って図書館で借りました。感想を書くのは今頃だけど、ちゃんと読んでから行ったよ。 アイルランド出身のノーベル文学賞作家。不条理な戯曲として、この「ゴドーを待ちながら」が有名らしい。この本は脚本だった。 主人公の二人の男が、一本の木しかない寂しい場所で、だらだらと喋っている。何をしているのかと言えば、ゴドーさん(どうやら運命を決定するような力を持った金持ちっぽい人間らしい)を待っている。一生懸命待ってるわけでもないが、じゃあ立ち去ろうかと片方が提案すると、「だめだよ」と片方が反対する。「なぜさ?」「ゴドーを待つんだよ」「ああそうか」。そしてまた二人はだらだらと過ごし始める。一日が過ぎ、そして次の日もやはり二人は同じようにゴドーを待つ。途中、変わった二人連れが出てくる以外は変化のない舞台。でも情景が目の前に浮かんで会話が聞こえてくるような気がして、退屈しなかった。舞台で見てみたいなと思った。 ベケットの作品って脳みその皺が伸びていくような気持悪さを感じる。整然と構築された現実世界を、ふにゃふにゃにばらばらにほどいていく。同じ(?)不条理小説でもカフカは不条理さを積み上げて行くことで整然と別世界を構築していく感じなのに、ベケットは何一つ積み上げさせてくれない。ふにゃふにゃのまま。足場の悪いまま。学者さんが解釈しようと思ったらいくらでもできるんだろうな。でもわたしは学者さんじゃないので、この居心地の悪さを感じたまま、解きほぐさず、説明せず、しまっておきたい。 え、講演の感想? 難しすぎたよ!わーん!半分も理解できなかったなあ。ああ、文学はまだまだ遠いということを知っただけでも大収穫だったかもしれない。 |