読書の記録

No.172 2006.7.23

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書きあぐねている人のための小説入門 /保坂和志

(草思社 /2003年発行)


 小説入門というか、この人自身の小説観を込めましたという一冊。そういう意味で、面白い。ハウツー本じゃなくて、こういう確固とした考えて小説を書いている作家がいるんだなあと思った。保坂さんの作品は、二作ほど読んだかな。作品を読んだときに、小説というものに対して意識的に取り組んでいる人だと思った。でもそれが「小説の面白さ」に達しているかといえばまだ足りなくて、でもこのまま進みつづけて面白さに達して欲しいなと思った作家だった。
 さて、そろそろ達したんだろうか。この本の中でも言及している最新作、読んでみようかな。
 回想や夢の多用は安易だとか、なるほど痛いことを言う。あと、わたしが最近おぼろげに考えていたこと、小説だからといって何でも書いていいんだろうか。小説家だからと言って、書くことで周りの人を傷つけたり不快にさせたりするのは許されるのか、なんて疑問の答えがここにはっきりと書いてあってはっとした。

(引用)
「自分は小説家だから」と割り切ってしまえば何だって書くことができる。厳しく育てた両親や自分をいじめた小学校の同級生へのらうみつらみ、身体的欠陥を持っている友人の第一印象から受けた醜さと交流を通じての自分の気持ちの変化、自分自身の女性遍歴や妻の性欲へのこだわり……。それらネガティブなことを「小説だから書ける」と思っている人がいるが、なぜ、小説だから書いていいのか。他の形式ではそれが書けないとしたら、書き手は「小説」という形式を都合よく利用しているだけではないのか。
 書きはじめる出発点において、小説は他の文章と何も変わらない。これは、あとでふれる「書き出し」のところでもう一度書くけれど、小説はポンとそこにある文字の連なりが自動的に小説になるものではなくて、文字を読む時間を通じて少しずつ小説として離陸していく。
 しかし、文字の連なりは離陸しても、書いている本人は離陸してはいけない。離陸してしまったら書き手の気持ちは小説の展開に都合のいいフィクション一色に染まってしまう。頭を小説モードにしないのも、小説言葉を使わないのも、書いている本人が現実から離れないための方法だが、そのためのいちばんいい方法は、自分が大切に思っていることを捨てないことだと思う。




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