読書の記録

No.142 2006.1.21

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城 /カフカ

(新潮文庫 /昭和46年発行)


 カフカって、読んだようで読んでないというか。「変身」には衝撃を受けたんだけど、他の長編を読みかけて挫折したことがあって、それ以来手を出していなかった。久々に読める気がして読んでみたら、面白くてぐんぐん引き込まれた。
 カフカの作品の多くは、主人公が不条理な制度やシステムに翻弄され、あっちやこっちや引き回されるのだけど、この作品も例に漏れず。というかまあ、むしろこれが代表作? 昔読んだときは、その不条理さや回りくどさに音を上げて、読み進めるのが億劫になったんだと思う。でも今読めば、違う。この不条理さや回りくどさは、現実のリアルな反映であることがすごく分かるからだ。役所の無駄な手続きだらけの仕事や、滑稽とも思えるような絶対服従の人々らが、ただの御伽噺ではなく、とてもリアルにこの世界を風刺していることが分かるから、物語から目が離せなくなる。馬鹿馬鹿しくて自分とは関係ない世界の話だ、とは思えない。一見、どこか現実離れした設定と抽象的な人物たちなのだが、だからこそ現実をより濃く描くことができるのだと思う。こんなやり方で現実を克明に小説に映すカフカは、ぞっとするような才能の持ち主だと感じた。
 解説のこの言葉がまさに、わたしの印象をうまく説明していた。

(訳者あとがきから抜粋)

 徹底したリアリストであったカフカは、けっしてそういう(ぱそ子注:今日の多くの作家たちが書く、人物たちの職業がなんであるかわからないような、職業が人間の唯一の存在形式であることを忘れたような作品)を書かなかった。彼の作品に出てくる人物たちは、職業的機能としてのみ描かれている。彼らが一見抽象的にみえるのは、そのためである。しかし、それは、彼らが現実の人間の抽象化であるということでもなければ、抽象観念の人間化(寓意的人物)であるということでもなく、すでに現実の人間そのものが抽象的存在に頽落してしまっているのである。彼らの抽象性は、かえってカフカ文学のリアリズムを証明している。


 この作品では、ある一つの現象が別の視点から説明することでまったく違う現象に見えてくるということが何度も起こる。たとえば、主人公であるKの目の前で繰り広げられた、役人たちの滑稽で非効率的な書類のやりとりも、別の人物があれはこういうわけだったと説明することで彼らの理論なりの正しさ、彼らの世界から見た条理が現れる。異邦者であるKの不条理は、地元の人間の条理であり、Kの条理は地元の人間にとってはとんでもない不条理である。読者はKと一緒に、二転三転する事実に翻弄される。そして、読者にとって、Kだけがこのあやうい世界での唯一の基準であったのに、疲労のためKの価値観もあやうくなり、ついに取り込まれ、読者はたった一人で取り残される。読み終わったそのとき、Kはこの小説の中からいなくなり、本を手にして呆然としているわたしがKとなる。



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