読書の記録

No.136 2005.12.26

←back 


思い出はそれだけで愛おしい /ダーチャ・マライーニ

(中央公論新社 /2001年発行)


 閉館間際の図書館に駆けこんで、たまたま手に取った1冊だったけれど、とても味わい深く読むことができた。作者は1936年生まれのイタリア女性。

 劇作家である50代の女性が、年下の恋人の姪である6歳の女の子に書き綴った手紙という形で物語は語られる。一方的な手紙が延々と続くこの形式。中身を読む前はあまり魅力的に思えなかったのだけれど、読み進めて行くうちに主人公の「思い出」のとりこになっていく。6歳のまるで友人のように仲良しな少女にあてて「手紙」という形で届けられる言葉は、思いやりと丁寧さと愛に満ちていてとても気持いい。しかも、思い出をひもといていくのに手紙という形は効果的だ。 途中からもしかしたらこの手紙は出されていないのかもしれないなと思えるほど、愛や人生について6歳の子に向けるには真摯なエピソードが混じっていく。手紙には甘ったるい子供だましの文章はなく、50代と6歳の素敵な友人関係が覗える。 手紙を通して、リアルに親身に主人公の人生を体験した。音楽一家である恋人の家族のエピソードや、主人公の妹が病気で亡くなるエピソードなど、静かに胸に迫った。

(引用)
 プラド美術館に一枚の絵があります、たしか「永遠の若さの泉」という題の。どこか液体的な彩りの大きな絵で、白やピンクの多くの体が群れて集まり、奇跡の泉のなかに身を浸しては若返って出てくるのです。
「記憶」にはこの泉の力があります。記憶の中に身をしずめれば、出てくるときには新たな生気を得ています。物語や小説は、それを書くことも、読むことも、まちがいなくあの奇跡の水でできていて、わたしたちを若返らせてくれます。わたしは熱烈な読者です。どうもわたしは、読書を通してのみ、日々目に入るものの姿の、さらに向こうを「見る」ことができるようです。型通りのものごとの先へ行くことができれば、見つめている人の瞳のなかに、まだ語られていない物語がぎっしりつまっていることや、その人の肌がまだ母乳のにおいをとどめていることや、もはやしおれた手であっても、そこには再生の精神がすうっと通っていることなどを発見できるのです。


訳:中山悦子


from amazon

 ←back    menu