罪と罰(上)(下) /ドストエフスキー
(新潮文庫 /昭和26年発行)
いつかは読まねば読まねばとずっと家に置いてあった小説。誰かがもう読んだと言えば、根拠のない劣等感みたいなものを感じていた。以前に読もうとして、独白の長さに恐れを成してやめてしまったが、今回は手を引っ張られて導かれるように世界に入れた。一旦中に入ると、もう目が離せない。どんどん読み進めて三日間ぶっとおしで読んでしまった。面白かった。
真面目な苦学生のラスコーリニコフが、老婆の殺人を行う。彼自身の打ちたてた理論によるとその殺人は正義であるが、やはり彼は罪悪感に囚われる。彼が殺人の計画を思いつき、それを実行するまでに悩みぬき、実行したあとも情緒不安定になり悩み迷いぬくその過程が、熱い筆と彼の独白で延々と語られる。彼の独白、彼の鬼気迫る様子は読者を当事者の位置まで引き摺り下ろす。わたしは、まるで自分が彼自身の理論にしたがって殺人を犯したかのような気持ちになった。彼を調べる刑事たち、彼の誠実な友人、彼を愛する妹と母、その他不幸な運命を背負った貧乏な人々。これらの登場人物が、本当に生き生きと描かれている。彼らの数ページに渡る独白セリフは、どの単語だって聞き逃したくないくらいだ。ロシア特有の長い名前、それらが時には姓で、愛称で、名で、と会話の相手によって使い分けられるのだが、人物の声や体臭を感じるくらいに生き生きと読んでしまうので、名前の混乱はなかった。会話や物語の中で、すぐに誰かと知れるのだ。情景描写も鮮やか。時代も国境も超えて、わたしはその場に居合わせた人のように喧騒や空気を感じることが出来た。
サスペンスと言ってもいいかもしれない。ストーリーも人物同士のかけひきも起伏に富んでいる。次に何が起こるのか息を呑みながらページをめくる。この作品に出てくる人物は、基本的にまともで善良で、ストーリーは正義によって裁かれる。不条理の鞭に虐げられた現代人のわたしには、それが心地よかった。もちろん、読んでいる途中は夢中でそんなことなど気にもしないのだけれど。
結局ラスコーリニコフは自主をし、刑を受けることになるが、ある愛に目覚め人間的な新たな希望をもつことになる。上下巻に渡る物語は、こんな人間的なラストで感動的な最後を締めくくる。途中に出てきた登場人物やエピソードも、作者は律儀に責任を持って書き抜いている。
ただ、唯一、作者が残したものがある。ラスコーニコフは刑を受け入れ、罰を受け、神にも心を開くのだが、ただ最後まで老婆を殺したこと自体は悔やんでいない。果たして、強欲で人の世のためにならない老婆を殺して、彼女が隠し持っている金を正直で清らかな貧乏人のために役に立てるという彼の理想は、正しいのだろうか。
これが小説、これが小説なんだ、と読み終わってからしばらく興奮状態はおさまらなかった。
米川正夫・訳
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