小澤征爾 音楽ひとりひとりの夕陽 /小池真一
(講談社+α新書 /2003年発行)
西洋音楽の世界に飛び込んでいって自分の音楽を世界に認めさせた小澤征爾。彼によると「美しい音楽は、一人で夕陽を見つめた時のような悲しい味がする」のだという。この本では、小澤征爾の発言や行動、その他の音楽家や音楽に限らない芸術家たちの発言を引用しながら、小澤のこの言葉の意味を紐解いていく。文章がうまいというわけではないが、著者がしっかりとテーマを持っており、音楽や芸術を愛している気持が伝わってくるのでとても面白かった。世界で活躍してる音楽家や芸術家の経験に裏打ちされた音楽論、芸術論は、いちいち感心させられ、はっとさせるものばかりだった。視野を広げられた一冊。
抜き出して覚えておきたい言葉がたくさん……ありすぎですから! 本買えよわたし。
(抜粋)
「芸術というのは音楽家の全人格の反映でなければならない。人格とは、半分はその人の個人的な歴史とか学習したものと、残り半分の普段は気がつかない『集合的無意識』の両方が結合してないといけないわけですよ。集合的無意識は、その民族にしか受けない伝統でなくて、それを持っていればあらゆる世界的な共感を得ることができるんです」 (作曲家:伊福部昭)
「私が望むのは、観客が、関わり合いになっている限り、知的かつ感情的に身近に感じてくれることです。場面が観客の方へ近づいていき、うわべだけの親友よりも濃い、より多くの側面を持った関係が生じます。観客は、独自に連想し、自分自身の体験、歴史、希望、恐れ、不安、喜びを再び見つけだす機会が与えられます。(中略)理解できないものになるということは、場面が陳腐になるのと同じくらい致命的です」 (ベルリン国立歌劇場「ジークフリート」プログラム)
「ただ親しみがあるだけの場面は、観客の無関心という危険をその中に隠し持っています。珍しいものや普通でないものを使うことで物語に波を立てるということは、チャンスでもあります。それはつまり、多くの人に受け入れられ、訳のわからないエリート主義に陥らないという、理解可能な融合のバランスを見つけられるかどうかにかかっています」 (同パンフレット)
「作品について徹底的に調べ、学び、ぼくら音楽家は自分たちなりに思いを形づくります。しかし、そこからお客さんに示す時には『こういうことではないか』という問いとして投げかける。たとえば、オペラ『ひかりごけ』なら、人間が生きることや死ぬことの普遍的な意味について演奏者がぎりぎりまで考えて、九九パーセントの疑問として音楽で問いかける。残りの一パーセントは、受け手であるお客さんの問題として委ねるんです。もちろん、それぞれの音楽家がそれぞれに問いへの答えを持ちながらも、それを押しつけるようなことはしません。まったくの完成品として提供し、受け手は消費するだけという娯楽、遊園地とはそこらあたりに違いがあると思います」 (指揮者:現田茂夫)
「芸術は、人間にとって必要不可欠です。言い換えれば、人間性を定義しているのはやはり芸術だと思います。人間と動物を分けるのは、芸術的表現ではないでしょうか。音楽がないというのは、とてもひどいことであり、人間の一部分が成長しないことでもあります。芸術に接しない人たちは、人間の魂のどこかの部分が未発達になる。それが社会で起こっています。ですから、すべての人が楽器を弾けたら本当にいいと思います。もちろんバレエという身体表現でも、絵を描くことでも何でもいいですけど、自分の命の感情を表現する力をたくさん見につけるべきだと思います。そうすることによって、人間として存在していくことができるのではないでしょうか」 (指揮者:ロリン・マゼール)
「たとえば『愛している』という台詞を言っても、どこか感情がこもっていない。そういう生徒が多い。『愛』の意味はわかっていても、どういう感情かを知らない。感情をのせて言葉をやりとりする感覚、つまり語感をなくしているのではないか」 (俳優・演出家:野沢那智)
♪聴く人を感動させる美しい音楽は、さんさんと昇る太陽ではなくて、沈んでいく夕陽を見た時のような悲しい味がするんです。自分が年をとってきたからかもしれないけれど、大事なものとか美しいもの、美しいと言ってもただ見て美しいのではなくて、心に染みわたる美しさとか、心を打たれる美しさというのは、少し悲しみの味がするのよ。どういうわけか、不思議なことに。楽しい曲でも、いい音楽の時はそれがあるみたいなんですよね。不思議なことにね♪ (小澤征爾)
「演奏する上での理想的な音楽体験は、舞台の上で何か一つの作品を演奏していても、自分が何を弾いているのか、作為のようなものが一切なくなってしまって、音とか響きの流れに引っぱられていくような感じになるんです。次々と音が流れていく、けれど、何をやっているのか自分でもわからなくなる、自分の意思のようなものを感じられなくなる。そういう時は同じように聴き手も、自分が座っていることすら忘れてしまう。まるで宙に浮いたような状態になり、響きの流れに身を任せる、そういう状態になれれば、誰が弾いていようが、何がそこで行われていようが、そういうことは一切気にならなくなるはず。まるで夢のような、憑依した状態というのでしょうか」 (コンサートマスター:ライナー・キュッヘル)
川柳作家の時実新子は、芸術家とは「ないものねだりの人間のことではないか」とした。
「自分の中に何か欠けたものを感じて、その隙間を埋めるために他人を求めて表現するしかない、それが本当の表現者の業ではないですか」
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